「精読」と「多読」。
英文を読む際のアプローチの仕方。または、その勉強法を指していう呼び名です。
「私にはどちらの方が向いているだろう?」
英語をやり直そうとしている方、そして、実際に勉強を続けている方にとっても、頭に浮かぶ疑問ではないでしょうか?
今日は、その質問に対する答えのヒントを、読んでいただきたいと思います。
「精読」派?「多読」派?
私個人の印象としては、「多読」というのは勉強法の一つのジャンルとして確立されていて、大人のやり直し学習をされる方にとっても、一つの人気の方法だと思います。
それに対して、「精読」というのは、やり方としては「多読」の対極に位置するものの、精読”派”と呼べるほど、多くの人に受け入れられている印象がありません。
あえて、「派」などという書き方をして、どちらかに属さなくてはいけないような書き方をしてしまいましたが、究極のところは、私のブログで行っているような「英文解釈(文構造の分析)をするか、しないか」、その違いだと思います。
何のためにそれをするか
では、英文解釈(文構造の分析)は何のために行うのか。
端的に言うと、意味のかたまり、切れ目を見つけるためです。
切れ目さえ見えれば、文章の意味はもうほぼ取れたも同然。あと、そのかたまりが何の役割をしているか分かれば、それで完璧です。
では、このかたまり(切れ目)。英文解釈をしない人(「多読」派の人)には見えないものなのでしょうか?
私はそうではないと思います。
「精読」派も「多読」派も、見えているかたまり(切れ目)は同じです。
そのかたまり(切れ目)に対して、「主語、動詞、目的語」や「関係代名詞」「過去分詞」などの文法用語で説明をつけるか、つけないか。その違いだと思います。
多読はそのかたまり(切れ目)を見つける訓練を数をこなすことで実践し、身につけていく。それに対し、精読は、文法用語というラベルをつけ、こういう切り方をするのだと説明していく。
やり方は違うけれども、目的は同じだということを理解してください。
それぞれが最終的に目指すところ
皆さんは、最終的にどのような読解力を身につけたいですか?
”辞書を引かずに、自分の読みたい文章をスラスラ読めるようになりたい。”
”自分の得たい情報を得るためのツールとして、英文を読めるようになりたい。”
(「情報」というと言葉の響きが固すぎるかもしれませんが、「英語の小説を読みたい」なども、「得たい情報を得る」に含みます)
そうではないでしょうか?
私自身は、精読も多読も、学習法としての一通過点だと思っています。
最終的に、自分の本当に読みたいと思えるものが、(英語力で足を引っ張ることなく)スムーズに読める。それが目指すべき姿だと思っています。
私は英文解釈をするので、いわゆる「精読」派の英語講師なのですが、いつまでも一文一文、「これは関係代名詞だから・・・」と頭に浮かべるような読み方をして欲しいとは考えていません。
それこそ、精読”派”などというグループに、いつまでもとどまっていてはいけないのです。
いつかそういう文法用語を介さずとも、意味のかたまり(切れ目)が何の役割をしているのか、自然に入ってくるようになって欲しい。(そのためには「解釈をせず数多く読む」方法も取り入れ、徐々に移行していくべきです)
そして、「多読」派の人、その方法を選ぼうとしている人たちに対しても、かたまり(切れ目)がハッキリと見えるようになり、さらに深く理解できる読み方ができるようになるよう、願っています。
どちらの方法で学習していくかは、皆さんご自身の判断にゆだねます。「合う、合わない」は本当に個人差があるので、どちらをお勧めするとは決して言いません。
まずは、それぞれを試してみること。それを皆さんにお勧めします。
[ad#blogmura]
[…] 問題集の長文を読むということ 2012年04月03日(火)| 投稿者名:nabomushiView Comments 前回の記事では、多読と精読、それぞれの目指すところについてご説明させていただきました。 […]