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【精読シリーズ・第1回】なぜ「精読」か?

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皆さんは、学生時代にどのような英語の授業を受けられましたか?

呼び名や形態に多少の差はあるかもしれませんが、英文読解(和訳と単語・文法事項の確認。多読との区別をはっきりさせるために以下精読と呼びます)の授業を受けられたことと思います。

大人になってから、英語学習をやりなおそうと思った時、あれと同じことをしようと思われる方はどのくらいいらっしゃるでしょうか?

手間がかかる割に得るものが少なそう・・・そう思って避けてしまうパターンが多いのではないでしょうか。

実は私、このやり方に大賛成なの です。

精読の目的

以前、yukoさんが記事で触れていた通り、”精読の目的は文法の理解、新出語彙の獲得”にあります。

私は、その2つの中でも「文法事項の確認」に重きを置くべきだと考えます。語彙の獲得も重要ですが、あまりに自分のレベルに合わない単語ばかりが出てくる文章だと、文法の構造を理解することにも支障をきたします。文法事項の確認をメインとするならば、新出語句が多すぎるものは避けたほうがよいでしょう。

生きた文法に出会う意義

「文法を学びたいならば、文法書や問題集をやればいいのでは?そのほうがTOEICのスコアアップなどに即効性があるし。」

確かにそうなんです。それをなぜわざわざ精読でやるのか。

文法書の中にも英語の例文は出てきます。説明とともに、こういうふうに使うんだな・・・と理解したとします。ではその後、実際の文章(教科書・小説・新聞記事などあらゆる文章)の中で、その項目に出会ったときに、「あ!これは分詞構文の付帯状況だな」と気付けるでしょうか?

私は、この気付けるかどうかが最も大事だと考えます。気付ける=どう訳せばいいかがわかる=その文が理解できたとなるからです。最初から「これは不定詞の形容詞的用法です」と書かれた英文をいくら見ていても、その気付く力はなかなかついて行きません。

そして、文章の中で「意味がとれない」、「わからない文法事項」の文と出会うことが、これを理解しなくてはいけないのだという強烈なモチベーションになります。そこで文法書を開き、重点的にその項目を学ぶことで、能動的にその項目を理解することができます。そして、次に自分が別の文章でその項目に出会ったときに気付くことができるようになるのです。

なお、精読の行い方・その意義については、レベルにより違いがあります。文章を読むのに支障がある最低限の文法(また別の機会に述べます)を理解していない場合は、まずその文法チェックから行う必要があります。

また、最終的には、文法のことなど意識しない(「気づいている」状態を通り越して、当たり前のこととして理解できる)状態を目指すべきだと考えます。文章を読むことの究極の目的は、書いてあること内容を理解することであり、その状態を目指すためのトレーニング方法の一つとして精読を取り入れてほしいと思います。

まとめ

精読の目的は、文章の中で生きた文法に出会うこと。

「ハッ!あの文法事項だ!!」と気付けて初めて、その文法事項を理解したことになる。

最終目的は文法事項に気付くことではなく、文法事項など意識しなくてもスムーズに文章理解ができるようにするために精読を行うのである。

次回以降、精読のやり方、素材の選び方など書いていきたいと思います。

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